tonchi。 は、現在準備中です。

2024/06/03 22:20

なんやかんやで無事に中学生になったリアルハイジ。中学校に入ってもやはり家から学校までは遠く、バスで通うわけですが、同じくバス通学だった同じ苗字のSちゃんと意気投合し、小学校時代地獄だった通学時間が、友達と何てことない会話を楽しみながら歩く心地の良い時間に変わりました。


田舎ですから、イジメのリーダーも同じ中学校なわけですが、何をしていたか記憶に全く無いので、私にとって何の影響力もない存在になっていたんですね。中学校時代を振り返ると、ほとんど嫌な記憶は無いので充実していたんだと思います。日々の楽しみは学校帰りに駄菓子屋に寄ること、昔ながらのTHE駄菓子屋が学校から歩いてちょっとの距離にあったので、小遣い握りしめて足繁く通いました。


駄菓子屋のカウンターに凧糸の先に砂糖をまぶしたアメ玉を付けたくじ引きがありまして、30本くらいまとめてビニール袋に入れてあるんですよ、ビニール袋の口から糸だけ出ていて、おばちゃんに10円渡すと、糸を一本引かせてくれます、糸をゆっくり引くと自分が引いた飴がビニール袋の中で持ち上がってくるのが見える、ハズレでもちょうど良いサイズの飴玉が付いてきて、味も美味しく幸せな気持ちになりました。当たりなんて引けたら通常サイズの2倍くらい大きな飴がつれるもんですから、もう何とも言えない高揚感に浸れるわけです。GOOD JOB!!糸の先に飴がついたくじを作った人!!


そんな感じで、わたしは日々楽しく過ごしていたわけですが、冒頭でも話したようにわたくしバス通学でしたから、最終バスに間に合わなければ家に帰れないわけです。バスの最終時間は17時、どんなに楽しくても17時にはバスに乗り、帰宅しなくてはならないんです。


嫌だったんですよ、帰るのが、本当に。だって帰っても家には誰もいませんし、夕飯の時間だって母が仕事終わるのを待って19時とか20時くらいにスーパーの惣菜とか母が職場から持ってきたものを食べるわけです。帰宅後も母は日中できない事務作業をやっていたので、和気藹々とした空気感ではなかったように思います、でもその頃は寂しいなんて感情は全くありませんでした、子供って慣れちゃうんですよね、寂しさに。それより「あー遊びに行きたい、なんでこんな山の中にいなきゃいけないんだろう....」なんて考えることが多くなっていきました、恥ずかしながら勉強より遊びたい気持ちの割合が100対0のメンタルで生きておりましたから、はっきり申して馬鹿だったんですね私、でも母はep4でも書いたように自称頭が良い人間だったので、勉強しないで駄菓子かKinKi Kidsのことばかり話している私に腹をたてたんでしょう、母が仕事の休憩時間に一瞬帰宅し、勉強せずダラダラしていた私を見てブチギレた結果、両手で10冊くらいの教科書の束を持って「あんたは何で勉強できないの!!!」と大声でぶちギレながら10冊の教科書を何度も何度も思い切り振り下ろし私をぶん殴ったんです、私は「痛い!やめて!」と言いながら手でガード。


絵に描いたようなカオス


最終的に私はこれをきっかけに真面目に勉強して志望校に合格しました!!





と書きたいところですが、ぶん殴られても自分のスタンスを貫き、三者面談で公立と私立併願で受験したいと担任に言ったら、公立は絶対受からないから私立専願にしろと言われ、お金さえ出せば入れる私立に入学しました。ここから私は金食い虫のクズとして高校生活を送るわけです..............続く


補足:この頃、母はお風呂がとにかく好きで、よく銭湯につれていってくれました。平日は近場の銭湯、金曜日の夜になると車を40分くらい走らせて健康ランドへ。この時間が唯一のコミュニケーションタイム?だったのかなぁと思いますが、私にとってはなかなかハードな健康ランドタイムだったんです.....ep6は健康ランドの話から始めてみようかと思います。