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2024/06/03 20:42

いじめのリーダーによって、私の小学校時代は真っ暗なトンネルをゆっくり歩き続ける羽目になるわけですが、当時は今のように図太い神経を持ち合わせていないので、早くトンネルから抜け出したい!逃げたい!と思うわけです、目の前が暗すぎて出口が見えないから、せめて明かりだけでも灯したいと、ある時母にイジメを打ち明けます。


「◯◯が私をこうやっていじめてくる、辛い、悲しい、もう学校に行きたくない」


わたしは母に打ち明けるまで、暗いトンネルを1人で歩いてきました、でも、一向に出口が見えてこないから母に助けてもらおうと勇気を出して打ち明けたんです、でも、母の口から出てきた言葉は意外なものでした。


「〇〇ちゃんはあなたと仲良くしたいだけなんじゃない?」

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「それを上手く伝えられないだけじゃない?」


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「仲良くしようって言ってみれば?」

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わたしの心の中でプツッと何かが切れた音がしました、思い返せばこの時、母が虐めと真剣に向き合ってくれなかった事が、その後の私達の関係にマイナス要因として大きく影響していたと思います。


ここから少し母の事を書かせてください。私の母は自己評価がかなり高い人間で、自分は勉強も運動も出来たし人気者だった!独身時代は新幹線の車内販売をしていて、売上もNo. 1だった!車内販売の求人に応募した時も、本当は規定年齢をオーバーしていたけど、私は若く見えるし可愛いから雇ってくれ!と面接で言い放ち採用されたんだ!と、他人ならイラっとする程の強いメンタルの持ち主なんです、私の母。(身内の私でも書いてて少しイラっとしてきました)


牧場がどんどん大きくなって、直営のステーキレストランをオープンする事になった時も、母が責任者として立ち上げから全て1人で作り上げ、最終的に本館の他に200名近く入る別館をオープン、繁忙期にはスタッフ20名近くを従え、一度も赤字を出さなかったというんですから、本当に仕事が出来る人間だったんだと思います。


自営業をしている39歳の今の私なら、母がどんなに大変な思いをしたのか、そしてどれだけ凄いことを成し得ていたのか想像することが出来ますが、子供の頃の私には到底わからなかったし、虐められても助けてくれない、いつも疲れていて帰りが遅い母でしかなかったんです..........出来ない娘と出来る母、2人のすれ違いはここから長い間続きます..........続く


補足:母はとても強い人間に見えていたし、そう思っていたけれど、歳をとって病気をしてから「私は強くない、強くいないとあの時はやっていけなかったんだ」と話していた事がありました、きっとそれは母の本心だったと思います。私がもう少し良い子だったら、母も少しは楽だったかもしれない、いくら後悔しても遅いんですけどね。今の私に出来る事は、全力で線香をあげて全力でチーンを鳴らすことです。全力線香!全力のチーン!そして全力墓参り!