tonchi。 は、現在準備中です。

2024/05/28 22:19

Podcastで堀井美香さんとジェーン・スーさんの『OVER THE SUN』を聞きながら、何となく自分の人生を回顧してみたくなったので、ブログを真剣に書いてみる事にしました。嫌な記憶を思い出したり、人に話すのを躊躇してしまう内容が多めですが、書いて誰かに読んでもらうことで、古い記憶が浄化できるような気がしているので、暇つぶし程度に覗いてもらえたら幸いです。


幼少期編〜ep.1

現在は長野県で細々とアパレル事業を運営していおりますがオギャーと産まれたのは群馬県の高崎市で、物心着く前に、父の実家がある北海道の美瑛町という小さな町へ移り住みました。

父の実家は一代で山を開拓し、雄牛の牧場を営んでおりました、敷地内には牛が常時七千頭飼育されおり、なんせ牛が七千頭もいますから、牧場の規模も大きく、大人から『今ともちゃん(私)が見てる景色360度全てうちの土地だよ』と言われたこともあります、私がその時見ていた景色にマンションやビルが立ち並んでいたら幼心にも『わぁ〜♡』と感動もしていたでしょうし、少々天狗になっていたかもしれませんが、何せどこを見ても山と丘しかありませんでしたから、幼い私は鼻くそほじりながら大したリアクションもとれていなかったはずです。

そんな環境で私はリアルハイジのように育つわけですが、もちろん周りにはピーターもヤギのユキちゃんもクララもいないですし、大きなブランコもなかったので孤独と戦いながら幼少期を過ごしていきます、幼稚園に入るか入らないかくらいの時期、両親は週7で朝から夕方まで仕事だったので、私は敷地内でエンドレス1人遊び。たまに赤ちゃん牛を見に行ったり、敷地内にある母の職場へ行ってみたり(すぐ帰される)ふらふら歩き回りながら毎日同じ景色を見て過ごしていました。

そんなある日、小さな私は熱をだします体が辛いな、しんどいなと思う反面、こんなに辛いんだから今日はママが一日一緒に居てくれるだろうと喜んでいました、が!現実は甘くない。

母は心配しながらも発熱した小さな私を置いて仕事へ行ってしまった。きっとその時の私は普段から感じていた寂しさが溜まりに溜まっていて「いつも1人にされているのに、熱がでて苦しくなっても1人なんだ、ずっと一緒には居てくれないんだ!」と限りなく怒りに近い悲しさで潰されそうになっていたんだと思います、自分の記憶では正直なところ、この頃の事はほとんど覚えておらず、今回書いたこのエピソードだけ強く覚えています。後から母に聞いたのは、この頃のわたしはストレスで急に喋れなくなったそうで、吃ってしまって声が出せなかったそう、わたしの幼少期は寂しさで溢れていたんだと思います。そして更にこの頃から父があまり家に帰ってこなくなります.......続く



補足:この時の記憶が強く残っているので、私はなるべく家に居られるママになれるようにとパソコンを勉強しました、家族の時間を一番大事にできるママで居たいと現在も強く思っています、ただ今なら仕事を優先していた母の気持ちも少しはわかる、家業に嫁ぐ嫁という立場で、そうするしかなかったんだろうと..........子育てにおいて、これが正しい、間違ってるなんて判断できることじゃないし、判断する必要はないのかもしれません。